のっぺり

基本的にネタバレに配慮しません。アイドル(ほぼハロプロ)、漫画アニメゲーム、本、ごはんその他の話

海外に行く友達にとりあえず頼むお土産

今週のお題「わたしのコレクション」

 

現在コレクションと言えるほどの量はないが、海外旅行に行く人に「お土産何がいい?」と聞かれたら頼んでいるものがある。

海外版の日本の漫画だ。

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右側のBANZAI!は多分ドイツのジャンプみたいな感じの雑誌。古本らしく値札シールがついている。漫画雑誌文化が知れて面白い。

できれば好きな作品が良くて、できれば手元の日本版の単行本と見比べたいので、とりあえずもし『遊☆戯☆王』の単行本があったらよろしく、とお願いしている。

せっかく旅行に行っているから出来るだけたくさん観光地を回りたいだろうし、本屋に行けるとは限らないだろうから、もし機会があれば、くらいで言っているつもり。

 

ありがたいことに探してきてもらえることがあって、『遊☆戯☆王』のフランス語版、ドイツ語版、英語版、『HUNTER×HUNTER』の中国語版がある*1

言葉はほとんど分からないもののストーリーは知っているので、読める…読めるぞ状態。書き文字が置き換わっているのも面白い。初期の遊戯王は絵柄のアメコミ色が強いので、違和感なく英語版に馴染んでいる。ページをめくって現地の生活に思いを馳せたりする。

 

今ではコロナ禍やら何やら旅行で海外に行く人はすっかり減ってしまっている。あと、歳取ったら友人自体も減ってきた。これからもなかなか増えないだろうけど、大切なコレクションだ。

*1:遊戯王が見つからなかったんだけどハンターも好きだったよね、と言って買ってきてくれた。BANZAI!をドイツ語版遊戯王の単行本と一緒にくれたファインプレーも同じ友人。ありがたい話だ。

タイムラプス動画撮るとちょっと楽しいよ

今週のお題「引っ越し」

 

新しい生活への期待でワクワクしてはいたものの、引っ越しそれ自体に楽しい思い出はあんまりない。

部屋探しが大変、荷造りがマァー大変、引っ越し代金がネットで見た相場より俄然高い*1、特に大きいのはこの辺だがまだまだ枚挙にいとまがない。住居を移動しようと言うのだから当然だ。

 

そんな引っ越しの中のほんの少しの楽しみとして、タイムラプス動画を撮ることを推す。一度だけやってみたら、結構良い動画が撮れた。

タイムラプスとは、同位置の定時間間隔で写真を撮影し、連続して再生することで動画にするアレだ。iPhoneであれば4s以降ならカメラアプリに機能が搭載されているはず。

使用に適した場面があまり思いつかないのだが、昼から夜への景色の変化とか、建物の建設とか、同じ場所である程度の時間をかけて変化していくシーンで使うとそれっぽい動画になる。

 

引っ越しにおいてはどのタイミングで撮るのかというと、前住居を引き払う時だ。

新居に入るところを撮っても面白いのかもしれないが、荷解きはそんなすぐには終わらない。その間ずっとスマホを固定しておく訳にもいかないので、出る時にした。

当日、荷物だらけの部屋全体が映る場所に設置する。確か押し入れの上の収納部分に置いた気がする。

引っ越し屋さんには、かくかくしかじかの理由で撮影します、ネット上にはアップしないですが大丈夫ですか、と許可を取った。そういう意図はないのだが、監視されているようで気を悪くしたかもしれない。その時はそういうそぶりは見えなかったのでありがたかった。

 

荷物を運び終え、トラックを送り出し、軽く掃除をしてカメラを止めた。雑然とした部屋から家具がなくなり、段ボールがなくなり、つるんと剥けたような部屋になるまでの様子が30秒くらいにおさまっていた。

だから何、と言われればそれまでだが、大掃除の比ではないくらい何もなくなるのでまあまあ気持ち良い。もう数年前のことだが、今でもたまに見返す。何かと大変な引っ越しの、ちょっとした楽しみだ。

*1:しっかり値切らないといけなかったのかもしれない。次こそは。

資格試験はマイルストーンになるし多分ドーパミンも出る

今週のお題「試験の思い出」

 

高校も大学もいわゆる学力試験を経ずに入学してしまったので、試験らしい試験の思い出がなかった。

あと、そのためのとんでもない努力の経験も。

 

社会人になってから否が応でも勉強せざるを得なくなり、いくつかの試験を受験した。基本情報技術者応用情報技術者データベーススペシャリスト

いずれも数ヶ月のスパンでコツコツ学び、なんとか合格したけれど、これら全て業務独占資格ではない。これくらい勉強している、という目安になるくらいのものだ。

受験料5700円(当時。改定され7500円になるとか)。まぁまぁの出費。試験当日は日曜なのに朝早く家を出て、半日拘束される。データベーススペシャリストの試験が終わった時なんか、身体をこわばらせすぎていたのか肩がガチガチになっていた。問題解く時間全然足りなかったけど長丁場過ぎるとも思うジレンマ。

 

そこまでして必ずしも実利に直結するとは限らない試験を受ける必要があったのかというと、これがあったのだ。

まず、目的は勉強すること。

でもここまでできれば良い、なんて終わりは仕事のための勉強にはないのだ。どこまでも勉強。早く仕事やめたい。しかし終わりもなくわかりやすい褒美もなくそれだと、怠惰で勉強や努力や仕事が嫌いな人間にはキツ過ぎる。

マイルストーンとして資格試験はちょうど良かった。試験の日が決まっているし、金を払ってしまったからにはなんとか受かりたい気持ちも出てくるし、重いケツが上がった。歳を取って脳の理性を司る部分が成長したのか*1、ゲームとは学習と成長であると教えてもらい努力を含めて楽しめるようになったからなのか、予定を立てて毎日コツコツ勉強することが以前より自然に出来るようになっていた。

そして試験が終わった時の解放感。試験会場を出た足でカラオケと居酒屋に行ったこともあった。合格が分かった時は多分たくさんドーパミンが出た。嬉しい。身近な人に知らせて褒めてもらった。幼稚。でも嬉しい。

あまりにも努力を積み重ねた経験がなかったので、結果に繋がるとこんなにも嬉しいのか、ということが次へのモチベーションになった。

 

本来の目的もある程度達成できている。情報処理技術者試験について言えば、業務の本質や目的を理解するのに役立った。目的を理解しないままでは話が通じない場面は多い。ITは特に資格試験の結果が仕事の出来に直結しにくい業界なのだろうが、それでも学びはある。

 

怠惰で勉強が好きではない人間だからこそ、資格試験はよく効いた。次の目標は簿記3級。コロナ禍のためか、定員制が導入されているという。とりあえず申し込み、申し込んでしまったからには勉強するという流れにしたいので……我ながらなんとまぁ怠惰なんだろう、でも一番効くからな……とにかくなんとか申し込むところから始める。

*1:中野信子さんの書いた新書で、成人してしばらくも成長する脳の部位があるのだと読んだ気がする。そして実感としてもある。なんて本だったかな……

まとめ16[映画感想]

映画の感想。ネタバレあり。

 

 

人生、サイコー!

世間一般的な反応がスターバックを蔑む方向に行きがちなことに寧ろ引いてしまった。そこから生まれた人がたくさんいるのだが……

精子提供者についての法律、日本ではどうなっているんだろう。提供者の権利があまり守られないとなるとやる人がいなくなるのではないのか。

 

ビッグ

トム・ハンクス主演のコメディ映画はいつも何か微妙に気になって入り込めない。今回はスーザンが本当に気の毒だった。エリザベス・パーキンスって『ストレンジャー・シングス』のミリー・ボビー・ブラウンと似てる。あとトリンドル玲奈も。

子供の目線で、大人のように稼げたらどんな風にお金を使うのかっていうところにリアリティを感じた。お年玉もらった時のバカみたいな使い方、身に覚えがある。

多分どちらかと言うと子供向けの作品だろうけど、スーザンの、あの時には戻れない(戻りたくない)という気持ちには共感した。子供の時分は心がもっと自由だったんかな。世界が狭いために大変なこともたくさんあった気がするけど、もうわからない。

 

ジーサンズ はじめての強盗

高齢者版『オーシャンズ11』的な。

最後のシーン完全にアルが死んだと思って呆然としてしまった。そこからの、まだまだ人生を謳歌する未来が見えるような展開にはホッとしたし、素直によかったと思った。

 

キングスマン:ゴールデン・サークル

前作に続き見どころはアクションの華やかさとイギリス!紳士!アメリカ!カウボーイ!というステレオタイプ的ビジュアル。日本が登場すればきっと忍者か侍なんだろう。そういうお祭り的映画なので違和感はないし、寧ろあって欲しい形だった。

血の出方とか見るとグロナンセンス寄りの表現をしようとしてる作品なんじゃないかと思うけど、なんとなくノリきれない雰囲気がある。人が死ぬと、えっ、今そいつが死ぬの?って思う。前作も。タロン・エガートンが正統派の少年漫画の主人公顔だからかも。

 

人肉ハンバーグのくだりでは漫画の封神演義を思い出した。古今東西よくある表現なんだろうか。料理をする女への根底での恐怖があるとか?ハンバーグの残忍さと料理自体の持つイメージの明るさのギャップ狙い?

 

マリーゴールド・ホテルで会いましょう

あまりにも高齢者が多くて転んだりしないかが心配で心がザワザワした。

基本的に悪意の存在しない話なんだと思うけど、イギリスとインドって今はどんな関係なんだろう。イギリスから見たインド、の描写に尽きたのでちょっと気になった。

ビル・ナイがイケてないお父さんの役なんだけど、本来持つかっこよさが滲み出てしまっていた。俳優さんあるある。

 

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

そういう話だったか。てっきり哀愁ヒューマンドラマかと思ってた。しかも気付くのが大分話が進んだ後だった。ベロベロになって飛び降りようとするあの辺くらい。

パーフェクト・ブルー』とか『ブラック・スワン』が好きなので、例に漏れず好みの題材だった。けど、"俺はこんなもんじゃないはず"という暴力的なまでの強い思いがあって、そこは男性主人公ならではかもしれない。脱皮の元がヒーローっていうのも。どうだろう、寧ろ女性がイノセントめ、ヒステリック的にに描かれがちなだけかな。

最後の窓から娘が見上げるカットは正直よくわからなかった。舞台の上で死んじゃうと舞台が完成しないんじゃないかっていうのはあるけど、目が覚めた後のくだりは舞台のクライマックスに向かって高まる中で見たかった。

ワンカット風の撮り方は単純に構図含め面白かったのと、主観に依りすぎた心情に重なった。

炊き込みご飯ドーピング

秋になったらとかたけのこの水煮が余った時とか炊き込みご飯するんだけど、いつもいまいちな出来上がりになる。

主に塩とか醤油の量をひよってしまうからだと思うんだけど、微妙に物足りない味になる。レシピ通りにやってるつもりなんだけど毎回どうもダメ。

 

で、先日白だしを使ってみたらバシっと美味しく出来上がってたまげた。白だしすご。技術いらず。

 

普段から白だしを常備している訳じゃなくて、安かったから今回たまたま買ってあった。

今年の秋になったらきっと白だしを買おう。

この人結局また鞘師の話してる

コロナ禍になって2年くらい経とうかという現在、アイドル、アイドル以外も、現場参戦系のイベントの予定を入れないと決めている。

チケットを買うのは開催の数ヶ月前なので、感染症の流行具合は全く読めない。というか、まぁこんくらい経ってたら収まってるでしょ、という推測がこの2年ことごとく外れたので全然読めないということがようやっと分かった。

 

開催日が近づくにつれ上がっていく陽性率を見て、いっそイベント自体が中止であれば諦めもつくのだがという他力本願も虚しく、催事とはそう簡単に中止されるほど簡単に開催を予定されているものではない。感染症の流行に社会が慣れてきたことで、中止されなくなってきたというのもある。

それで毎回、折角チケットを買ったのに行くのか?行かないのか?見たくないのか?お金が勿体なくないか?とか色々考えた上で決断しなければならないこと、決断した後にあれで良かったのか?と考えてしまうことが非常にしんどくなってしまった。そしてここ数ヶ月、キャンセルの効かない予定を入れるのをやめた。

 

今も在宅なりの活動(?)はしていて、音源や映像のアイドルには元気付けられている。在宅とは言え今はWEBという手段もあるし外向きな発信だって出来るはずなのだが、何となく考え方が内向きになる。そもそも私は在宅のドルオタだったから、こっちが本性だ。現場に行かないとリアルタイム性が失われて、今更な感情を、誰に共感してもらうでもなく煮詰めてしまう。

そもそも私は在宅のドルオタだったのだ。

 

現在の鞘師さんをアイドルと呼ぶのは間違っている気もするけど、アイドル時代に好きになってしまったからついそう思ってしまう。

 

改めて昔の映像に向き合って、鞘師のすごいところは圧だと感じる。2019年のひなフェスを観ると未だに身震いする。あのステージの空気を持っていく力強さの源は何なんだろう。強烈な、私を見ろ!の圧。視線を縫い留める力。

 

まず強く感じるのは彼女自身の視線の力。カメラを真っ直ぐ見つめていることもあるが、カメラの存在を感じさせない。私たちの視線と直接かち合って、見ろと要求してくる。

アイドルなのだから、こう見られるかな、という美意識的なものは不可欠で、彼女も意識していない筈がないんだけど、とにかく何故かそれがないかのように見える時がある。

演者からこう見られたい、こう見てほしいという要求を感じた時は、ついそれに寄り添って観る。その意図を表現から汲み取れることがまた楽しいことも知っている。

もちろん、鞘師にだってそれが全くない訳ではない。だけど見ろ、の圧が強くて、こういう風に、というような、互いの意識の絡み合いが薄いように感じる。その寄り添わせなさに、多分、神性を感じてしまっている。舞台の上から挑まれている感じがする。

 

同じタイプのアイドルは他にも居ると思うが、彼女特有の魅力は、しっかりと私たちの視線を捕まえた上で、見ろと要求してくるところだと思う。手の届かない場所に居るはずなのに、こちらを見てもいる。一方的に腕を引かれている感じもするけど、能動的な自分の目の存在を意識してもいる。

彼女がMVより舞台でより輝くように見えるのは、実際に観客が目の前に居るかどうかがポイントな気がする。たった今、見られているか。

 

勝手に感じている、アイドルとの一種のコミュニケーションの話。一方的だからコミュニケーションとは言わないか。

タイムリープと北京オリンピック

今週のお題「冬のスポーツ」

 

録画しておいた東京24区を見たら何故か既視感があって、時空が歪んだのかと思った。

こういうことらしい。

TVアニメ「東京24区」7話放送延期のお知らせ - NEWS | オリジナルTVアニメーション「東京24区」公式サイト

 

クオリティ維持のため……確かに丁寧な画作りのアニメだと思うけど、急遽放送を延期するほどってどんな事情なんだろう。

もしやCOVID-19の影響で人手が足りなくなっちゃったとか。想像であれこれ言っても仕方ないんだけど、時期が時期だけに脳裏を過ぎってしまった。

あと最終回まで放送回数の辻褄どうやって合わせるんだろうとか。意外とフレキシブルにいけるものなのか。

 

そもそもここ数週間は、北京オリンピックの影響で放送がない番組も多かった。そっちは元々予定があっての回数減だから、話数も合わせてあるだろうけど。

毎週の放送を録画して見ていくことにまだ慣れていないので、少し減ってると気が楽ではある。別に義務でもなんでもないけど……HDDに溜まってると見なきゃと焦ってしまう。

 

一方の北京オリンピック、積極的に見てはいないしどのスポーツのルールもよく知らないけど、坂本花織選手のフリーをニュースで見て、とても雅やかで美しいと思った。

フィギュアスケートにはスポーツとしての側面と、アートとしての側面がある。ニュースで目にするのはスポーツとしてのフィギュアが多く、ジリジリギラギラとした、張り詰めた雰囲気がある。例えば羽生結弦選手なら、そういう面の表出が演技の一部になっているところが好きだ。

 

今回の坂本選手の演技は、技の難易度を上げるより一つ一つの完成度に注力したものだという。恐らくジャンプの回転数は上位選手の中では少ない方なんだろうけど、のびのび余裕があるように見えて優美だったり、ジャンプも回転数が少ない分一般人でもその美しさを堪能できたり(トリプルアクセルより回転してると速すぎてトーシロには見えない!すごい!というスポーツ的な見方になる)した。

 

と、トーシロなりに楽しみ方を見つけたりした。

TVのインタビューで坂本選手がとんでもない陽キャであることも判明。陽の気がああいうスケーティングにさせるのか。きっと苦しい場面も多いだろうに、そういう風に見えない。

 

外も寒いし、テレビにかじりつきつつ外食はなるべく控えているが、そろそろ……ラーメンが食べたい。ラーメンと焼肉は外食の方が美味しすぎる。